平和学習の旅 中国 2010 「万人坑を知る旅~吉林省の万人坑~」報告学習会2011/03/13

テレビはつけっ放し状態。大惨事だ。大地震、巨大地震だ。終わりの時代、海沿いは危ない、山へ逃げろ、その日は盗人のように来る、聖書の御言葉が浮かんでくる。

13日の学習会は参加予定の方から体調が崩れて加できません等の連絡が次々に。未曽有の災いに気分的に出かける気も失せテレビから離れられない人もいるだろう。。関西圏は今のところ、危険はなさそうなので、学習会は予定通り開催させていただいた。

参加者は18名だったけど、万人坑について話を聴きたい思いで参加下さった方ばかりで私たちの報告や話を清聴下さった。落ち着かない今日、参加いただいた皆さま、本当に有難うございました。

2011年 3月13日(日) 13:30~16:45

市民活動プラザおおさか東館 学習室201(もと飛鳥人権文化センター)

■報告:野津 加代子
平和学習の旅「万人坑を知る旅」主催
撫順の奇蹟を受け継ぐ会関西支部 代表

    青木 茂
『偽満州国に日本侵略の跡を訪ねる』著者
撫順の奇蹟を受け継ぐ会会員

■写真展示:宗景 正
写真集「夜間中学の在日外国人」
『私たち「何じん」ですか 中国残留孤児たちはいま』著者
中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会世話人

■主催:撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部

【毎日新聞】平和学習:「万人坑」学ぶ あす大阪で、報告会 /京都2011/03/12

平和学習:「万人坑」学ぶ あす大阪で、報告会 /京都

◇撫順の奇蹟を受け継ぐ会関西支部

 市民団体「撫順の奇蹟を受け継ぐ会関西支部」は13日午後1時半~4時45分、大阪市東淀川区東中島3の市民活動プラザおおさか東館(阪急京都線崇禅寺駅下車すぐ)で平和学習の旅「万人坑を知る旅~吉林省の万人坑~」報告学習会を開く。日本の中国侵略戦争中に、炭鉱などで働かされた犠牲者の遺骨がある「万人坑」について学ぶ。

 報告は、同支部代表の野津加代子さんと、「偽満州国に日本侵略の跡を訪ねる」著者の青木茂さん。中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会・世話人の宗景正さんの写真展示も。参加資料代800円。問い合わせは竹本さん(090・8860・9961)。【大島秀利】

* 吉林省白山市郊外の万人坑の石碑前で慰霊する「平和学習の旅」の参加者たち

【毎日新聞】平和学習:「万人坑」知る旅、13日・東淀川で報告学習会 /大阪2011/03/09

平和学習:「万人坑」知る旅、13日・東淀川で報告学習会 /大阪

 市民団体「撫順の奇蹟を受け継ぐ会関西支部」は13日午後1時半~4時45分、大阪市東淀川区東中島3の市民活動プラザおおさか東館(阪急京都線崇禅寺駅下車すぐ)で平和学習の旅「万人坑を知る旅~吉林省の万人坑~」報告学習会を開く。日本の中国侵略戦争中に、炭鉱などで働かされた犠牲者の遺骨がある「万人坑」について学ぶ。

 報告は、同支部代表の野津加代子さんと、「偽満州国に日本侵略の跡を訪ねる」著者の青木茂さん。中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会・世話人の宗景正さんの写真展示もある。参加資料代800円。問い合わせは竹本さん(090・8860・9961)。【大島秀利】

平和学習の旅 中国 2010 「万人坑を知る旅~吉林省の万人坑~」報告学習会2011/02/01

* 遼源炭鉱の万人坑

平和学習の旅 中国 2010
「万人坑を知る旅~吉林省の万人坑~」報告学習会
-万人坑が告発する日本の中国侵略の実態-

万人坑とは、過去の日本による中国侵略戦争中に、鉱山や大規模な工事現場で、中国人労働者に苛酷な労働を強要した結果、栄養失調やケガ、病気、虐待などで使いものにならなくなると、ある時は生きながらも捨てた「ヒト捨て場」。
数千、数万の人びとがまとめて捨てられ埋められ、「偽満州国」を主体に中国各地に多く残存する。中国における強制連行・強制労働の犯罪現場の多くに万人坑が作られているので、強制連行と万人坑は切り離して考えることのできない一体不可分のもの。

2009年の遼寧省の万人坑参観に続き、昨年は吉林省の万人坑を中心に5ヶ所を参観しました。参観の目的は万人坑を知る、学習と犠牲者への慰霊です。規模の大小を問わず今回も犠牲者の遺骨に向き合い慰霊し、侵略の実態を学ぶと共に朽ちていく万人坑跡を観る一方、改築され充実した展示施設も見学し、今の中国の実情も目の当たりにしました。

今年は8月下旬、ロシア国境の中国黒龍江省側に遺る、かつて日本の関東軍が築城した要塞跡と万人坑を参観、幸存者にもお会いし、体験をお聴きする予定です。
昨秋、現地を旅された宗景正さんの写真作品展示とお話もあります。

2011年 3月13日(日)
13:30~16:45 (開場:13:15)

市民活動プラザおおさか東館(学習室201)
(もと飛鳥人権文化センター)

 最寄駅:阪急京都線「崇禅寺」下車すぐ * 梅田より3駅目
  大阪市東淀川区東中島3-14-32
  電話:06-6323-6721

■参加資料代:800円

■主催:撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部

■報告:野津 加代子
平和学習の旅「万人坑を知る旅」主催
撫順の奇蹟を受け継ぐ会関西支部 代表

    青木 茂
『偽満州国に日本侵略の跡を訪ねる』著者
撫順の奇蹟を受け継ぐ会会員

■写真展示:宗景 正
写真集「夜間中学の在日外国人」
『私たち「何じん」ですか 中国残留孤児たちはいま』著者
中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会世話人

■問い合わせ先:090-8860-9961(竹本)

万人坑を知る旅 ~吉林省の万人坑~ 6日目① ありがとうございました2010/09/26

9/26(日)

ホテルを5:45発。李老師や、張さんたちはここ、長春から瀋陽までこのバスで帰られる。
中秋の家族が集う休日に今回も私たちに同行下さった李老師に感謝でした。この旅の同行解説はもとより、企画の段階から旅程の相談にも的確なアドバイスをいただきました。穏やかで思慮深いお人柄に今回初参加の方も感じるところがあったようです。

そして、1人3役:通訳、ガイド、添乗の張さん、初日の瀋陽からぐるり1周で3,000キロを安全運転してくれた董さん。辛苦了。お疲れ様でした。李老師も空港でバスを降りて荷物審査ゲートまで見送って下さった。ありがとうございました!再見明年!

中国南方航空(CZ)637便にて 08:15長春発 関空着13:30

今回も事故なく、体調崩す人もなく、本当に良かった~。感謝します (^^)/

* 今回も4か所の万人坑と楊靖宇陵園で献花し祈りを捧げました。

来年は8月下旬に黒竜江省の主に要塞跡と万人坑を参観する予定です。興味のある方は happy.screaming.project@gmail.com までご連絡下さい。

万人坑を知る旅 ~吉林省の万人坑~ 5日目② 李老師を囲んで♫2010/09/25

李教授を囲んで感謝の夕食。最後のレストランは文革時代を再現したお店!山小屋風で、3階建て?で、すべて個室のようだった。その個室も結構広々~。室内には当時の新聞や写真などが飾ってある。日本でも昭和レトロ風が流行っているけど、ここの人気もそれですか?ときいたら、先ずは「食事がおいしいから!」と現実的な答えがかえってきた。はい、今回私は本当~に、中国の人って情緒的というよりはフレキシブルで現実的!ということをいくつかの場面で思い知らされました。詳しくはまた (^_^;)
例によりお母ちゃんが中国語で感謝の歌を独唱♪。それに応えて今年は李老師が歌を歌って下さいました。それは中国語の「北国の春」。日中友好のイベントでは歌われることがあるそうで。途中から立ち上がって歌う李老師の表情は小学生が音楽の時間に急に
「李君、一人で歌ってみなさい」と言われて恥ずかしそうに歌っているような、初めて見る表情をされていました。そこに皆の日本語の歌声♪と手拍子が重なり、笑いと感謝で最後までとても温かい雰囲気で終わりました。

☆長春 泊 長白山賓館(4つ星クラス)

 ♫ 歌う李老師

万人坑を知る旅 ~吉林省の万人坑~ 5日目① 東北論陥史陳列館2010/09/25

9/25(土) 長春

専用車にて長春へ移動(約2時間)偽満州国の首都であった長春市内の日本侵略の跡を巡る。(偽満皇宮博物院、偽満州国務院、偽満州国軍事部旧址等)やっと見つけた東本願寺はぐるりと塀に囲まれ、見えないようになっていた。広い敷地に巨大な寺が(京都駅の近くにある東本願寺のようなまさにあのイメージ)残されていた。その気になれば、ざばっ!壊されてショッピングセンターとかでも建つんだろうな、と思う。偽満皇宮博物院はラストエンペラーで観た場面の現場だったんやな~、としみじみ観察した。そして!ここのすぐ近くにある「東北論陥史陳列館」の展示がすごく良かった!!ここは予定していなかったけど、観た事のない資料や写真が充実していて、時間をかけてじっくり見学したかった。今回行けなかった、あの白家堡子惨案の展示もあった。女性に対する性暴力や生き埋めの様子も描かれていた。悲惨としか言えない。。今後、長春に歴史の学習に来るなら、この陳列館は必見の施設。強くお薦めします。ここの見学をもって、5日間の旅程は終了しました。

 *白家堡子惨案の展示

万人坑を知る旅 ~吉林省の万人坑~ 4日目② 豊満ダム工事の万人坑2010/09/24

専用車にて吉林へ移動(長春を結ぶ高速道路で約3,5時間)昼食後、■豊満水力発電所工事の万人坑を見学(吉林市労工記念館・資料館・遺骨館など)現館長と交流。ダム工事による犠牲と思っていたので、ダムのすぐそばかと思いきや、やや山間に入った奥まったところにあった。バスは入れず、途中から歩いていく。常駐の職員さんはおられず、前もってお知らせし、市内からここを管轄のひとつとする担当者が来て説明されるようだ。館長さんも待機して下さっていた。ここの展示は絵が多く、具体的なエピソード(どのように抵抗したのか等の例)が図解され、興味深かった。参加者にはここに展示されていた1週間でだめになる白い履物が、あまりの命の扱いの軽さを象徴していた、と今回の旅で一番印象深かったと言われた。「豊満ダムは日本が作ったものじゃない、資金も人力も中国人によるもの。技術は日本だったかもしれないけど」これも着目すべき事実だった。
明日が最後の晩になるが、明後日は朝が早いので、今夜、李老師と感想交換の時を持つ。初参加者の感想は「意識を持って「知る」必要があると感じた」「本当のものを見てみたかった!」「ここまで来て、簡単には行けない、しんどい思いをして、見て、肌で体験して本当の事を知る事が大事」長距離移動の旅。中高年の皆さんには本当にお疲れ様でした。

☆吉林 泊 松花江沿いに建つ吉林霧松賓館(4つ星クラス)


⑤ 豊満万人坑・・・水力発電所(ダム)建設工事現場の万人坑(吉林省吉林市)

松花江を堰き止める巨大ダム。 高さ91m×長さ1100m
1937年4月=着工 1942年9月=堤堰および発電施設
完成 1943年春 発電開始
労工の集め方:①だます ②捕虜 ③勤労奉仕隊=強制徴用 
12万人~15万人を動員
長時間労働 12時間労働の2交代制 安全無視 
危険な作業 事故
賃金を諸経費が上回る。働くほどに借金が増す。 
ひどい宿舎 冬はマイナス40℃ 着るもの無し ひどい食事 
病院なし 治療なし  10種類の刑罰を具体的に展示。

死者=1万5000人  最初は工事現場近くに、その後は東の山の墓地に埋めた。吉林市労工記念館  
遺骨保存館=万人坑発掘現場(青木茂さん 2004年訪問時情報より)

* 頭蓋骨を傷つけられた遺骨

万人坑を知る旅 ~吉林省の万人坑~ 4日目① 河本大作が住んでいた家2010/09/24

9/24(金) 遼源 → 吉林
今朝も劉館長のご協力で遼源市内をフィールドワークする。先ずは日本の神社跡。鳥居の立っていた基盤や参拝前の手洗いの石が残っていた。そして、河本大作が住んでいた家を外から見学。最後に当時の炭坑事務所(現在も)も外から見学して、遼源を出発した。

劉元館長さんは退職したので、これから時間があるし、今後も記念館のサポートをしていく、と仰っていた。退職しても毎日、記念館には来られているそうです。

* 河本大作 (1983~1955年)が住んでいた家
昭和初期に活動した日本の陸軍軍人。張作霖爆殺事件の首謀者として知られる。

万人坑を知る旅 ~吉林省の万人坑~ 3日目③ 遼源炭鉱の万人坑2010/09/23

12:30~13:30白山市内にて昼食。遼源へ移動(約3,5時間強、、予想より遠かった)
16時頃~ ■遼源炭鉱の万人坑を見学(遼源鉱工文物館・遼源鉱工墓・遺骨保存館・遼源鉱務局など) 元館長から当時のお話を聴く。近年退職された劉元館長さんの尽力で2006年にこちらの展示が完成されたとのこと。大変見応えのある、内容のある展示だった。一人でも、その「思い」がこうした形になるのだ!と嬉しかった。 
遺体は整然と並べた形で発掘された当時のまま。手足がないのはすでに腐っていたのでないのだという。万人坑というと、無造作に投げ込まれたイメージがあるが、時期によれば棺に入れて埋葬されていたり、このように整然と埋葬された場合もある。埋葬された時期がわかれば、人のいのちの扱いがどのように変化したのかも推察や分析ができるだろう。

ここにも中国人の親方?のような、後ろ手を縛られて跪く像がひとつあり、鼻はなくなっていた。。。
 
遼源市内にて劉館長と共に夕食後、ホテルチェックイン

☆遼源 泊 雅柏国際大酒店(4つ星クラス)


④ 遼源炭鉱万人坑・・・炭鉱労働現場の万人坑(吉林省遼源市郊外)

旧称=西安炭鉱(現在は遼源炭鉱)
1931年~ 西安炭鉱(株) 
1934年~ 満州炭鉱(株)
西安鉱業所 石炭=1581万トン略奪。
労工の大部分は華北から。だまして募集したり強制連行したり。鉄条網内の宿舎に監禁。狼犬が逃亡監視。

逃亡に失敗し、みせしめで狼犬に食い殺される人。 刑罰=80種類。みせしめで手足を切り落とされた人。人間地獄、過酷な労働。

多数が約半年で死亡。1年以上生きて働く人は3分の1。労工の平均寿命=30・5歳。

1963年に遺骨が発見された牛世清さんの労働票(1ヶ月の賃金明細)賃金32元。食費・住居費・野菜代・借金返済・等々差し引かれ4元不足。死者=8万人以上 ⇒ 6つの万人坑
そのうち、遼源鉱工墓のある方家塚万人坑に1万人。1941年から遺体を埋めはじめ、1年8ヶ月でいっぱいに。⇒ 煉人坑(遺体焼却炉)1943年から稼動 
方家塚万人坑:1963年発見 面積20万平方メートル 
発掘現場の一部を遺骨保存館にして保存、3列179体の遺骨。展示館:2001年建設開始。遼源鉱工文物館・遼源鉱工墓2004年建屋は完成、内装と展示は未完成。
(青木茂さん 2004年訪問時情報より)