万人坑を知る旅 ~吉林省の万人坑~ 3日目③ 遼源炭鉱の万人坑2010/09/23

12:30~13:30白山市内にて昼食。遼源へ移動(約3,5時間強、、予想より遠かった)
16時頃~ ■遼源炭鉱の万人坑を見学(遼源鉱工文物館・遼源鉱工墓・遺骨保存館・遼源鉱務局など) 元館長から当時のお話を聴く。近年退職された劉元館長さんの尽力で2006年にこちらの展示が完成されたとのこと。大変見応えのある、内容のある展示だった。一人でも、その「思い」がこうした形になるのだ!と嬉しかった。 
遺体は整然と並べた形で発掘された当時のまま。手足がないのはすでに腐っていたのでないのだという。万人坑というと、無造作に投げ込まれたイメージがあるが、時期によれば棺に入れて埋葬されていたり、このように整然と埋葬された場合もある。埋葬された時期がわかれば、人のいのちの扱いがどのように変化したのかも推察や分析ができるだろう。

ここにも中国人の親方?のような、後ろ手を縛られて跪く像がひとつあり、鼻はなくなっていた。。。
 
遼源市内にて劉館長と共に夕食後、ホテルチェックイン

☆遼源 泊 雅柏国際大酒店(4つ星クラス)


④ 遼源炭鉱万人坑・・・炭鉱労働現場の万人坑(吉林省遼源市郊外)

旧称=西安炭鉱(現在は遼源炭鉱)
1931年~ 西安炭鉱(株) 
1934年~ 満州炭鉱(株)
西安鉱業所 石炭=1581万トン略奪。
労工の大部分は華北から。だまして募集したり強制連行したり。鉄条網内の宿舎に監禁。狼犬が逃亡監視。

逃亡に失敗し、みせしめで狼犬に食い殺される人。 刑罰=80種類。みせしめで手足を切り落とされた人。人間地獄、過酷な労働。

多数が約半年で死亡。1年以上生きて働く人は3分の1。労工の平均寿命=30・5歳。

1963年に遺骨が発見された牛世清さんの労働票(1ヶ月の賃金明細)賃金32元。食費・住居費・野菜代・借金返済・等々差し引かれ4元不足。死者=8万人以上 ⇒ 6つの万人坑
そのうち、遼源鉱工墓のある方家塚万人坑に1万人。1941年から遺体を埋めはじめ、1年8ヶ月でいっぱいに。⇒ 煉人坑(遺体焼却炉)1943年から稼動 
方家塚万人坑:1963年発見 面積20万平方メートル 
発掘現場の一部を遺骨保存館にして保存、3列179体の遺骨。展示館:2001年建設開始。遼源鉱工文物館・遼源鉱工墓2004年建屋は完成、内装と展示は未完成。
(青木茂さん 2004年訪問時情報より)

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