🐼 成都 ― 2019/03/02
建川博物館 ― 2019/03/02
🐼 李老師と巡る 平和学習と観光の旅 ~四川省と雲南省~
2月20日(水)~ 26日(火)6泊7日
2/21(木)
専用車にて成都市内 → 大邑県安仁镇へ移動。終日、建川博物館を見学。
※主に抗日戦争部分を見学。 🌸🌸🌸 李老師の古稀祝いの宴会夕食 🍻 🍻 🍻
☆大邑県安仁镇 泊
㊗李老師の古稀祝いの宴 ― 2019/03/02
🐼 李老師と巡る 平和学習と観光の旅 ~四川省と雲南省~
2月20日(水)~ 26日(火)6泊7日
🌸🌸🌸 李老師の古稀祝いの宴会夕食 🍻 🍻 🍻 最高齢の参加者、石川さんによるお祝いの謡に始まり、花束💐贈呈、お祝品 📦 🎁 贈呈、初対面の皆さんからも手土産や🎁プレゼントを品々に贈られて老師は感激されていました!その後、石川さんの手品ショー?お抹茶🍵のお接待も。和やかで楽しい宴でした 🍻 皆さんありがとう💖
イタリア製の糸で編んだ軽い春物のニット 🌸
後日、着
古希のお祝いの色は「紫」紫色がきれいな鉄扇の花と聖書の御言葉の額を贈りました。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」詩篇37:5 °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
石川さんの手品ショー♠♣♥♦
今回の旅で一番印象に残ったホテルです。いろんな意味で。。(~o~)
🐼 大熊猫繁育研究基地(成都) ― 2019/03/04
四川省の麻婆豆腐! ― 2019/03/04
成都(四川省) ― 2019/03/05
成都の滞在は正味2日間。最後は寛窄巷子:寛(広い) 窄(狭い) 巷子(小道)を散策。成都は「来た人が帰りたくなくなる町」とも言われるが、寛窄巷子へ来たら、帰りたくない!気持ちが一気に強まったという観光客の声もある。清代からの歴史があり、成都の人のゆったりした気質がよく表れているという点で、最も成都らしい場所と言えるらしい。元々のんびりと生活を楽しむ習慣が強い土地柄で、こうした余暇文化空間を作り出すのが得意。
盆地で2月は曇りの日が多く2日間ともスカッと晴れませんでした。
寛窄巷子の古い町並みへ向かうと春節のお祝いの名残が。。
次回来る時は四川省だけ、、、何せ、日本列島と同じ広さらしいから。。。
🐼をゆっくり観て、成都の街もゆっくり楽しみたいな~。
李老師が古希祝いのお返しに全員に四川料理によく使われるスパイシーな花椒をお土産に買って下さいました。スーツケースが山椒の香りでいっぱいに。。(*^^*)
成都のガイドさん、本当によく努めてくれました。パンダ観光は数え切れなくても、建川博物館に日本人を案内した事は皆無だそうです。若いので近代史の知識も浅く、活動家の皆さんの熱意に「日本にもこういう人たちがいるのか、と涙が出そうになりました。」と語っていました。李老師の古稀祝いの後、皆で老師の部屋へお邪魔しディスカッションした際は、汗びっしょりで通訳する姿を真横で見ました。私たちを雲南へ見送った後、ぐったりと疲れた事でしょう。さらに精進してもらい、次回も彼を指名するつもりです。感謝!
㊗そら豆姉ちゃんの誕生日 ― 2019/03/06
🐼 李老師と巡る 平和学習と観光の旅 雲南省 1日目 ― 2019/03/17
🐼 李老師と巡る 平和学習と観光の旅 ~四川省と雲南省~
2月20日(水)~ 26日(火)6泊7日
2/23(土)09:00ホテル発。専用車にて移動。
滇西抗戦紀念館を見学。国殤墓園を参観。
叠水河瀑布、和順僑郷を観光。☆騰沖 泊
■滇西抗戦紀念館
2013年オープン。雲南戦の全体がうかがえる重厚な展示で見応えがある。雲南各地の戦闘の状況が統計、ジオラマ、遺品、証言等で網羅されている。日本軍による虐殺、拷問、地域破壊、略奪、慰安所の実態。勝利に至る中国雲南遠征軍・米軍の道筋等。
西抗戦紀念館の館内は撮影禁止。想像以上に展示が充実していて、これまで見た事のない写真を多く見学できました。2階は日本軍100部隊の展示。当時細菌戦のため吉林省長春の本部で研究していた動物実験をもとに、騰沖の支部で家畜、動物、人体でも細菌実験をしていた実態が展示されています、と現地ガイドに説明を受けました。この展示も大変充実していて、100部隊についてもほとんど知らなかったので驚愕の内容でした。
■国殤墓園
1945年7月7日、李根源(軍人・政治家)の提唱で建設された。雲南戦で戦死した中国雲南遠征軍第20集団軍隊が騰沖を攻め落とする時に亡くなった将兵を記念するために作られた墓園。国内最大規模(2015年時)。小高い丘の全面が小さな墓石で覆われている。9,000名分の墓石には名前、階級、年齢が刻まれている。静かに慰霊する場として大切にされている。米軍将校19名の慰霊碑がある。日本兵数名を葬ったという「倭塚」も出口付近にある。撤去の要望もあったが、残そうと主張した中国人がおられお蔭で残っているという。
中国政府は現在も中国で戦死した日本軍兵士の遺骨収集や慰霊行為を許可していない。草や石、土などの持ち帰りも固く禁じられている。怒江作戦(中国の援蒋ルートの遮断作戦 )開始以来、中国軍の死傷者は22,000~24,000名にのぼり、日本軍死傷者は4,500~7,000名と報告されている。中国軍死傷者数が日本軍死傷者数を圧倒的に上回っているため、日本軍のための慰霊行為は国民感情を逆なでするから一切禁止するという中国政府の見解である。
国殤墓園は土曜日で参観者やグループが多く見受けられました。雲南戦での死者が葬られている墓所を参観する事は中国側の立場を体感できる貴重な体験だったと感じます。
■和順僑郷
和順古鎮は県城まで5キロ、雲南で最古の二国間の相互貿易の発生地で、西南のシルクロで中華文化の影響を受けた百年古村でもある。600年以上、中華文化を主にする和順は内容が異なり性質の相反するものでも差別なく受け入れ、中華文明と南アジア、西洋との窓口となり、文化芸術価値が高い大量の古代住宅群を保留してきた。
和順古鎮は再訪したい!のどかで自然が美しいところでした。とっても文化的で地域の住民が気軽にサロンに新聞を読みに来られていたり、観光客も特産の翡翠などの買い物をしたり食事をしたり。。。とても平安な空間でした。「万人坑を知る旅」では1回もなかった!☕コーヒータイムも (*^^*) 雲南省はプーアール茶や紅茶も有名ですが、小粒珈琲もおいしいそうで、早速皆さんで味わってみました。香りも味もしっかりした骨太な味。お土産にコーヒー豆も買えました(^^)v 赤系のカラフルな色合いの石も名産で女子でワイワイ言いながら旅の記念のお揃いでこの石も買いました。
先ずはお昼ごはん🍚 野菜たっぷりでおいしかった!
遠藤さんは翌日早速、身に着けてました!素敵👍
保山市騰衝県の中心地にある、落差30メートルにもなる非常に大きな滝か観賞できる風光明媚な場所。
🐼 李老師と巡る 平和学習と観光の旅 雲南省 2日目 ― 2019/03/22
🐼 李老師と巡る 平和学習と観光の旅 ~四川省と雲南省~
2月20日(水)~ 26日(火)6泊7日
2/24(日)拉孟(松山地区)へ。滇西抗日戦争 松山戦役主戦場跡をフィールドワーク。
恵通橋、新恵通橋(紅旗橋)、日本軍の陣地跡、戦闘地跡、日本軍の壕、トーチカ、水源地跡、砲弾跡、軍事教練広場、中国遠征軍の交通壕跡等を見学。関山陣地より対岸の鉢巻山(当時の中国軍陣地)を一望する。フィールドワーク後、龍陵へ移動。龍陵抗戦紀念碑公園、抗日紀念館、第56師団前線司令部跡(外観)、日本軍慰安所陳列館を見学。龍陵からミャンマー国境の徳宏タイ族チンポー族自治州の芒市へ移動。李老師に感謝の夕食会 🍻 🍻
☆芒市 泊
遠藤美幸さんの著書を読み、拉孟戦についてのイメージを浮かべつつついに現地に行きました。標高2,000mの山々に巻き付いている、これがビルマルートだ!と大きくカーブに揺られながら車窓を見入りました。一瞬、熊野古道を歩きつつ眺める紀伊山脈に似てる、と思いつつ、標高が違うでしょう。。
松山周辺は想像以上に整備され、昼食食堂のあるふもとの街も遠藤さんが前回訪問された2012年とは様変わりしているそうでした。記念館も建設中で建物は完成しているようでした。また、木道の工事が始まりかけていた松山戦役主戦場跡はすっかり完成し、歩いて見学しやく整えられていました。要所要所に説明の看板や地図が分かり易く表示されていました。益々、愛国教育基地として充実していく現況でした。歩いている木道の下にはまだ多くの遺骨が埋まっているのだと思うと、、心の中で手を合わせました。
龍陵は特に日本軍からの残虐行為や被害が多かった地で反日感情が残っているときいていました。
街の広場が龍陵抗戦紀念碑公園となっており、休日だったこともあり町民の姿が多く見られました。公園内には龍陵抗日戦争紀念館があり、実は存在を知らず(すみません!)旅程表に記載していなかったこの紀念館も見学。古いままの手作り風の展示ですが、この地域の被害を伝え、残す強い意思を感じました。公園のレリーフもじっくり見て、写真も撮りたかったけれど、住民の人が多くて写真を撮るのは気が引けました。
日本軍慰安所陳列館と第56師団前線司令部跡(外観)も見学できました。こちらは現地に何度も確認し、見学は無理ときいていたし、すでに夕方5時前だったのですが、現地ガイドさんの尽力で見学させて頂けました。ここは慰安所として使われていた建物がそのまま陳列館として公開されています。この館や中庭の何とも暗い雰囲気。日本軍の野蛮行為のおぞましさ。反日感情が残るのは当然でしょう。
生まれる時代や場所が違えば、自分も加害者や被害者になっていた恐ろしさを、今回は強く実感しました。そんなに昔の事ではないのです。。
龍陵抗戦紀念碑公園
日本軍のトーチカが残っている。龍陵は1944年、日本軍守備隊と中国雲南遠征軍との激戦地。ビルマルートが市街地の中心を貫き、日本軍第56師団歩兵団司令部の置かれた軍事拠点だった。白塔の住民は日本軍により甚大な被害を受け、とりわけ反日感情が強い。当時、白塔村では憲兵が大規模なスパイ狩りを行い多くの住民を虐殺した。また、日本の傀儡組織の漢奸の手引きで約600名の現地女性が「慰安所」へ供出された。
日本軍慰安所陳列館
渡米した華僑、薫さんの民家が寄贈された施設。旧家らしい素晴らしい建物。1942年から1944年の2年間、朝鮮人「慰安婦」15名がいた。慰安所について歴史や背景が短くまとめられている。「慰安婦」とされた李蓮春さん等の一生を描いた絵も展示されている。
第56師団前線司令部跡
現在は民家として使われている。外観や周辺を見学。
日本軍の雲南進出の軍事拠点だった芒市はミャンマー国境に近く、町に入るのにパスポートチェックがありました。街の雰囲気も食事も騰沖と違って、雲南の別の雰囲気を楽しめました。