平和学習の旅 中国 2011「万人坑を知る旅③~黒龍江省の軍事要塞跡と万人坑~」報告学習会2012/02/28

* 鶴岡炭鉱の万人坑
(中国黒龍江省鶴岡市)
     撮影:宗景 正

 ✾犠牲者のご冥福を心より
   お祈りいたします。

 2009年(遼寧省)・2010年(吉林省)と連続して中国東北部に残る万人坑を参観し、慰霊と学びを重ねてきました。2011年は、黒龍江省に残る旧日本軍(関東軍)が築造した軍事要塞跡と炭鉱に残る万人坑を参観し、当時、中国各地の工事現場や鉱山で日本の軍隊や企業に労工として苦役させられた体験をお持ちの幸存者から証言を直接お聴きする事もできました。

 万人坑とは、鉱山や大規模な工事現場で苛酷な労働を強要し、過労・栄養失調やケガ・病気などで死亡したり使いものにならなくなった中国人労工を、時には息のある人も遺体と共に捨てた「ヒト捨て場」。そうした被害者が大規模に埋められた場所。平頂山事件のような軍隊の大量虐殺による万人坑や、軍事要塞周辺や労工狩りの収容所周辺で発見された万人坑もあるそうです。

 これまで、日本が中国を侵略したかつての戦争中に中国国内で徴用され、劣悪な環境の下で労働を強いられ亡くなられた甚大な数の中国人犠牲者の遺骨が横たわる万人坑の現場を参観してきました。そして、その裏側に、中国国内での「強制連行」「強制労働」の実態がはりついているという事実を知りました。日本(内地)への中国人強制連行は「花岡事件」をはじめある程度知られていますが、この中国国内での甚大な被害や地獄以下の煉獄へ送られた中国人の実態はほとんど知られていません。その被害は大きすぎて、正確な被害者数は現在も不明だそうです。

 その中でも、軍事機密として当時行なわれていた旧関東軍の要塞築造の工事現場で強制労働させられた中国人労工の甚大な被害の実態は、残っている資料やデータも少なくほとんど知られていません。旧満州と旧ソ連の国境地帯には、1930年代から40年代にかけて、満洲防衛と対ソ戦への備えのために旧関東軍により要塞群が築造されました。今回は、アジア最大の旧日本軍地下要塞・東寧要塞と、長大なソ満国境においてシベリア鉄道を唯一視認できる旧関東軍の戦略拠点であった虎頭要塞の2ヶ所の要塞跡現場で学んだことをお伝えします。
歴史の事実を先ずは知り、伝え、この事から今と未来について考えていきたいと願っています。

 今年は、昨年巡りきれなかった黒龍江省西部に遺る、かつて日本の関東軍が築城した要塞跡と万人坑を秋頃に参観する予定です。

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  平和学習の旅 中国 2011 
  「万人坑を知る旅③~黒龍江省の軍事要塞跡と万人坑~」報告学習会
       -万人坑が告発する日本の中国侵略の実態-

2012年 3月24日(土) 13:30~16:45 (開場:13:15)

弁天町市民学習センター・第2研修室(50名収容)
 大阪市港区弁天1-2-2-700 (オーク2番街7階) ☎ 06-6577-1430
 ・地下鉄 中央線「弁天町駅」西口2A出口より徒歩3分 
             連絡通路を通り、中央エレベータで7階
 ・ JR環状線「弁天町駅」北口より徒歩3分 

 ■参加資料代:800円

 ■主催:撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部

 ■報告:野津 加代子
   平和学習の旅「万人坑を知る旅」主催
   撫順の奇蹟を受け継ぐ会関西支部・代表

 ■解説:青木 茂
   『偽満州国に日本侵略の跡を訪ねる』著者
   撫順の奇蹟を受け継ぐ会・会員

 ■写真展示とお話:宗景 正
   写真集『開拓民』国策に翻弄された農民
   『私たち「何じん」ですか 中国残留孤児たちはいま』著者

 ■問い合わせ先:090-8860-9961(竹本)

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