☆ びわ湖大花火大会 ☆ ― 2010/08/06
特別観覧席で観る
びわ湖大花火大会
35名様
お昼集合で、先に函館山ゆり園へ。ゴンドラに乗って山頂へ。ゴンドラに吹いてくる風が涼しい。涼しい季節にゆっくり来てみたい。山頂からのびわ湖の眺めも絶景!
充分余裕を持って出発したが、途中事故渋滞で (@_@;) 予定の船に乗れず、、、、何とか、最終便?に乗せてもらい特別観覧席の台船へ。到着したのは19:30で、ちょうど花火の始まる時間。お客さんには暗闇の中で夕食のお弁当を食べていただきました。味濃いめ、塩味濃いめのお弁当だったけど、汗で流れた塩分補給には良かったかも。。食べたら妙に元気が出てきた。やっぱり食べることですね、初女先生 (^^)v
花火は真正面に上がり、大迫力。特に音がいい!!最後の直径300メートルの花火が一斉に迫ってきたのはすごかった。良かったわ~、という声があちこちから。
素晴らしい花火でありました。感動した~。
びわ湖大花火大会
35名様
お昼集合で、先に函館山ゆり園へ。ゴンドラに乗って山頂へ。ゴンドラに吹いてくる風が涼しい。涼しい季節にゆっくり来てみたい。山頂からのびわ湖の眺めも絶景!
充分余裕を持って出発したが、途中事故渋滞で (@_@;) 予定の船に乗れず、、、、何とか、最終便?に乗せてもらい特別観覧席の台船へ。到着したのは19:30で、ちょうど花火の始まる時間。お客さんには暗闇の中で夕食のお弁当を食べていただきました。味濃いめ、塩味濃いめのお弁当だったけど、汗で流れた塩分補給には良かったかも。。食べたら妙に元気が出てきた。やっぱり食べることですね、初女先生 (^^)v
花火は真正面に上がり、大迫力。特に音がいい!!最後の直径300メートルの花火が一斉に迫ってきたのはすごかった。良かったわ~、という声があちこちから。
素晴らしい花火でありました。感動した~。
故桧山高雄 反戦絵画パネル展 ― 2010/08/08
「 炎 の 中 」
白陽寺村の焼き打ちから帰った下士官が「炎の中であの老婆は何とつぶやいたのだろう?」と話していました。
それも判らない日本兵だったのです。
桧山 高雄
*白陽寺村の焼き打ち
1943年12月湖北省当陽県
白陽寺における三光作戦
「殺しつくす、奪いつくす、焼き殺す」
昨年の開催では、生前お会いすることがなかった桧山さんと共に活動できた実感がありました。桧山さんの絵には体験者にしか訴えられない本物の力を感じます。
今回も是非、多くの皆さまに桧山さんの思いを体感していただけたらと願っています。
会場でお待ちしております。
========== 故桧山高雄 反戦絵画パネル展 ==========
戦争体験者による絵画が語る戦争の実相
2010年8月14日(土)12時00分~20時30分
15日(日) 9時30分~16時00分
大阪市総合生涯学習センター ギャラリーA
大阪市北区梅田1-2-2-500
大阪駅前第2ビル5階 06-6345-5000
入場無料
*今年の4月逝去された崔仁杰老師(元撫順戦犯管理所指導員)の追悼展示もあります。
■桧山高雄さん
1920年広島県生まれ。小倉師範学校卒業後、教員になる。同年、福山西部60連隊入隊。翌年、中支那派遣軍第39師団232連隊報道班員として5年間に亘り宣伝情報任務に従事。敗戦後、シベリアで5年間抑留された後、遼寧省の撫順戦犯管理所で新中国の寛大政策を受け、釈放されて帰国。以後、絵画教室を主宰、個展「私と戦争」「加害の戦争展」を全国各地で開催。自由美術教会展2回入選。1988年反戦の絵筆をとりつつ福岡県にて
永眠。元中国帰還者連絡会会員。
主催:中国帰還者連絡会の事業と精神を受け継ぐ
撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部
phone & fax:06-6324-2439
uketugu@kansai.email.ne.jp
http://www.tyuukiren.org
惜別 崔仁杰老師 ― 2010/08/16
故桧山高雄さんの反戦絵画パネル展、無事終了しました。両親も手伝ってくれて感謝でした(^^)/ 親子で共に活動できることにも感謝です。
色紙の文字はお父ちゃんが書いてくれました。(私には書けましぇん。。)今回もしみじみと一度でもいいから、桧山さんに会ってみたかった!とか、崔先生との思い出に静かにゆっくりとひたることができました。
パネル展の数日前に先生の遺影をプリンターで印刷していた、ちょうどその時、撫順在住の山本さんから電話が入り、問い合わせていた先生のお墓のことを知らせて下さった。
崔先生のご遺体は葬儀後、火葬され撫順の河に流されました。先生が育った朝鮮へ帰り、そこから日本海へ流れていったでしょう、とのこと。撫順にお墓はなく、先生はいつも私たちと共におられるように感じます。
昨年、ご自宅へお邪魔して、お別れする時にお礼を言ったら「水臭いことは言わないで」と笑顔で言われたのが最後になりました。
先生との出会いに感謝します。褒めて下さったこと、叱って下さったこと、温かくいつも親しみをもって接して下さったこと、すべて、すべて、ありがとうございました。
崔 仁 杰 老師
朝鮮族 吉林省海竜県人。1926年10月生まれ。
1948年、工作に参加。1953年1月撫順戦犯管理所へ転勤。新生中国政府の日本人戦犯に対する人道政策のため、管理教育官、通訳官を担任する。
2010年4月3日撫順にて逝去。
色紙の文字はお父ちゃんが書いてくれました。(私には書けましぇん。。)今回もしみじみと一度でもいいから、桧山さんに会ってみたかった!とか、崔先生との思い出に静かにゆっくりとひたることができました。
パネル展の数日前に先生の遺影をプリンターで印刷していた、ちょうどその時、撫順在住の山本さんから電話が入り、問い合わせていた先生のお墓のことを知らせて下さった。
崔先生のご遺体は葬儀後、火葬され撫順の河に流されました。先生が育った朝鮮へ帰り、そこから日本海へ流れていったでしょう、とのこと。撫順にお墓はなく、先生はいつも私たちと共におられるように感じます。
昨年、ご自宅へお邪魔して、お別れする時にお礼を言ったら「水臭いことは言わないで」と笑顔で言われたのが最後になりました。
先生との出会いに感謝します。褒めて下さったこと、叱って下さったこと、温かくいつも親しみをもって接して下さったこと、すべて、すべて、ありがとうございました。
崔 仁 杰 老師
朝鮮族 吉林省海竜県人。1926年10月生まれ。
1948年、工作に参加。1953年1月撫順戦犯管理所へ転勤。新生中国政府の日本人戦犯に対する人道政策のため、管理教育官、通訳官を担任する。
2010年4月3日撫順にて逝去。
まつこじ ― 2010/08/25

松江の実家の庭先に来る新顔のねこやん。柄といい、体つきといい、だら~っ、と寝そべる姿といいうちのこじこにそっくり。
名前を考えたけど、いまいちピンとくるのがなくて、とりあえず、松江のこじこちゃんの略で「まつこじ」と呼んでみます。
* 台所で食事してると、すぐ近くまでくるまつこじ