~万人坑を知る旅~ ③3日目:大石橋と弓長嶺の万人坑2009/09/27

営口大石橋へ移動(約3時間)、マグネサイト鉱山の万人坑を見学。昼食後、弓長嶺へ(約2時間)弓長嶺鉄鉱の万人坑見学。本渓へ移動(約1時間)。

ここも歩く、歩く。現在も採掘が行われている虎石橋万人坑の周辺は、今も炭坑労働者の生活の場だ。


☆本渓 泊 富佳大飯店(3つ星クラス)

~万人坑を知る旅~ ③大石橋マグネサイト鉱山の万人坑(虎石溝紀念館)2009/09/27

ここは本多勝一さんの著作「中国の旅」の中でも詳細に取材報告がされている虎石溝の万人坑紀念館。現在の館長さんは体調がすぐれず療養中とのことで、金牛山博物館の高飛館長が途中から道案内で対応、同行して下さった。

ここでも献花と慰霊の祈りを捧げました。画像の奥にある整然と横たえられた遺骨は近年そのようにされたのだそうです。ここは天井を含めスペースが広く、一体、一体と向き合いたい思いでしたが、時間がなく残念でした。

~万人坑を知る旅~ ③大石橋マグネサイト鉱山の万人坑(安らかに。。)2009/09/27

この人は手がしっかりと張り付いたように頭をかかえた状態で絶命されたようです。

絶望したのか、苦しかったのか。。。

生きたまま埋められた可能性が高い。

安らかにお眠りください

~万人坑を知る旅~ ③弓長嶺鉄鉱の万人坑2009/09/27

今回見学した万人坑の中で最も印象に残ったのは弓長嶺鉄鉱の捨て置かれたような遺骨だった。ここは以前はある鉄鉱会社が管理していたが、倒産し、今はどこの管理、管轄にもなっていないそうだ。
この「万人坑」と少し登った上にある「千人溝」があり、「千人溝」の方は坂になっていて、上から本当に人を捨てていたように流れてくるように遺骨がそのままになっている。これには息が止まる思いだった。

下の広場には、以前、この万人坑の様子や発掘当時の写真などがぐるり円形に展示されてあったようだが、今は朽ちはてている。
当時は同様に万人坑の奥に展示館もあったらしいが、現在は地域の老幹部活動室として使われていて、私たちが献花している様子を、そこのおじいさんたちが「何してるのか?」という様子で見に来られた。

 * 内部は掃き掃除はしてあるものの、ガラスは割れて散乱していた。

~万人坑を知る旅~ ③弓長嶺鉄鉱の万人坑(千人溝)2009/09/27

そして、これが「千人溝」。

中を見てびっくり、この状態で、遺骨が雪崩れてきたような状態だ。
これは「人捨て場」そのものじゃないか。

現在、どこの管理にないといっても、この地域の人で心ある人たちが月に一度でも掃除したり、お花を供えたり、、、ということはなさそうだった。私たちは同じような感想を持ち、この点を李先生や張さんに問いかけてみたが、このあたりに住む人々は生活が苦しく、おそらくこの遺骨には目も関心も向く余裕もないのでしょう、と答えられた。

雨が降ったのか、千人溝の湿った階段を下りる時、そこに小さな銀色の汚れた千羽鶴が2つ、落ちているのに気がついた。日本人が慰霊のしるしとして残したであろう、千羽鶴は踏まれてぺしゃんこになっていた。。。