私たちに何ができるか - 若者たちと考える『慰安婦』問題シンポジウム2008/08/03

* 村山一兵さん  昨日、琵琶湖で泳いで日焼け、赤~く顔が焼けてはりました

昨年お世話になった韓国「ナヌムの家」/日本軍「慰安婦」歴史館研究員
の村山一兵さんのお話もあるとのことで、案内いただき参加した。
一年ぶりにお会いした一兵さんは前より精悍な感じ!忙しい日々、束の間の
日本での滞在も有意義に過ごされている様子で良かった。
集会は神戸女学院の石川康宏教授のゼミで数年前から「慰安婦」問題に
ついて学んでおられ、それをメインに教授や女子大生のお話があった。
会場は200名程度は収容できる施設のようだった。ほぼ満席でぐるっと
見渡して知っている人は2人しかいなかった。新鮮!

石川教授が話されたことで印象的だったのは:
・この問題との出会いが2004年にナヌムの家を見学された際に
 それまで基本的な知識はあったが、実際ここまで一個人の人生を破壊
 するのか!!というショック、机上の字面の知識だったことに愕然。
・1945年に戦争は終わったが、被害者はその後もずっと生きている。
 終わっていない。今も続いているということ。
・映像を観ることの大事さとその効果。

人生を破壊するというのは、戦争の被害者、そして中帰連の人たちを見ても
同じ、加害者にもずっと戦争はその人の人生にまとわりついているという事だ。
認罪した中帰連の人は時が経って薄れるどころか、より濃厚な傾向を感じる。。

一兵さんのお話では:
・最初はハルモ二たちの言葉が聞き取れない-朝鮮語と自身の距離があったが
 ハルモ二の言葉がわかると理解が変わってきた。

やっぱり相手の言語で理解できると違うものがあるんだと思う。やっぱり中国語
を少しでも学び始めないとな~、と実感(^_^;)

・ハルモ二の証言などを通訳する機会があったが、言葉を通訳するだけでなく
 その前にある「思い」も伝えることも自分の役割と思う。

当事者と「思い」を共有するにはやはり一緒に生活したり、多く時を
共に過ごしたりする中で自然と信頼関係ができてそこに到るのだと思う。

・「慰安婦」問題についての理解がまだまだ足りないのでは?
 女性が性的被害にあうということがどういうことか?失うもの、痛み、
 「慰安婦」問題の本質は実は女性に対する意識の問題なのではないのか?
 女性の側が問われて、男性の問題はなぜ問われないのか?

私たちの集会でも同じようなことを高柳美知子さんが訴えておられた。
性の問題はいのちの問題、人権、戦争や昨今の社会問題もそこに
繋がっているのだと。。。

・80歳を過ぎて以前は積極的に証言していたハルモ二でもできなくなる
 傾向がある。気力がなくなったり、記憶が消えていったり。。

中帰連の方々も同じ。近年は加害証言を聴くのは一部の集会のみで、訪問して
証言を集めることはしていない。その時期は終わった。気力、体力的に難しい現実がある。

・自分に何ができるかというのはいつも悩んでいるところだが、ハルモ二に
 「いつまでナヌムの家にいるのか?」ときかれ、いつかは去っていくんだと
 思われていると感じ、去っていく人でなく、この働きをナヌムで続けること、
 居続けること、だと今は思っている。

私も同じ思いかもしれない。ともかく地道でもこの受け継ぐ活動を続けること、
と近年は思っている。。

ともかく若者の参加が多かった\(^o^)/ 女子大生たちの発表や感想も頼もしい!
いい刺激を受けて励まされた午後で感謝でした。

やっぱり行動しなければ。明日は京都の中帰連会員さん宅を訪問する。
一度もお会いしたことがないが、、なんとか会えますように。。。

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