~万人坑を知る旅~ ④本渓炭鉱の万人坑(紀念碑)2009/09/28

ここは当時の炭坑でガス爆発事故があり、千数百名が亡くなった現場で紀念碑の左下には「肉丘 」とある。事故で炭坑労働者の遺体がばらばらにちぎれ、この名前がついているのだそうだ。

李先生から説明を受け、紀念碑裏の碑文やその周辺全体にいまも大量の遺骨が埋まっている地面の上に立ちつくしていると、周辺で働く炭坑労働者のおじさんたちが集まってきた。

へ~、日本から、慰霊?ふ~ん、今もここは炭坑の町だよ、ほら、あそこが今かかってるとこだよ、という風な感じで話しかけてくる、気さくなおじさんばっかりだった。

おじさんたちも一緒に記念撮影してゆっくり歩いて下った。

~万人坑を知る旅~ ④4日目:本渓炭鉱の万人坑と本渓水洞観光2009/09/28

午前:本渓炭鉱の万人坑を見学。午後:世界最長の鐘乳洞・本渓水洞を船に乗り観光。その後、撫順へ。

ここもまた、簡単には行けない。李先生も方角はわかるが、どの道かは不確かで、歩いてる途中で出会った地元のお母さんに訊きながら登っていく。のどかな炭坑の町だ。

☆撫順 泊 煤都賓館(3つ星クラス)

~万人坑を知る旅~ ③弓長嶺鉄鉱の万人坑(千人溝)2009/09/27

そして、これが「千人溝」。

中を見てびっくり、この状態で、遺骨が雪崩れてきたような状態だ。
これは「人捨て場」そのものじゃないか。

現在、どこの管理にないといっても、この地域の人で心ある人たちが月に一度でも掃除したり、お花を供えたり、、、ということはなさそうだった。私たちは同じような感想を持ち、この点を李先生や張さんに問いかけてみたが、このあたりに住む人々は生活が苦しく、おそらくこの遺骨には目も関心も向く余裕もないのでしょう、と答えられた。

雨が降ったのか、千人溝の湿った階段を下りる時、そこに小さな銀色の汚れた千羽鶴が2つ、落ちているのに気がついた。日本人が慰霊のしるしとして残したであろう、千羽鶴は踏まれてぺしゃんこになっていた。。。

~万人坑を知る旅~ ③弓長嶺鉄鉱の万人坑2009/09/27

今回見学した万人坑の中で最も印象に残ったのは弓長嶺鉄鉱の捨て置かれたような遺骨だった。ここは以前はある鉄鉱会社が管理していたが、倒産し、今はどこの管理、管轄にもなっていないそうだ。
この「万人坑」と少し登った上にある「千人溝」があり、「千人溝」の方は坂になっていて、上から本当に人を捨てていたように流れてくるように遺骨がそのままになっている。これには息が止まる思いだった。

下の広場には、以前、この万人坑の様子や発掘当時の写真などがぐるり円形に展示されてあったようだが、今は朽ちはてている。
当時は同様に万人坑の奥に展示館もあったらしいが、現在は地域の老幹部活動室として使われていて、私たちが献花している様子を、そこのおじいさんたちが「何してるのか?」という様子で見に来られた。

 * 内部は掃き掃除はしてあるものの、ガラスは割れて散乱していた。

~万人坑を知る旅~ ③大石橋マグネサイト鉱山の万人坑(安らかに。。)2009/09/27

この人は手がしっかりと張り付いたように頭をかかえた状態で絶命されたようです。

絶望したのか、苦しかったのか。。。

生きたまま埋められた可能性が高い。

安らかにお眠りください

~万人坑を知る旅~ ③大石橋マグネサイト鉱山の万人坑(虎石溝紀念館)2009/09/27

ここは本多勝一さんの著作「中国の旅」の中でも詳細に取材報告がされている虎石溝の万人坑紀念館。現在の館長さんは体調がすぐれず療養中とのことで、金牛山博物館の高飛館長が途中から道案内で対応、同行して下さった。

ここでも献花と慰霊の祈りを捧げました。画像の奥にある整然と横たえられた遺骨は近年そのようにされたのだそうです。ここは天井を含めスペースが広く、一体、一体と向き合いたい思いでしたが、時間がなく残念でした。

~万人坑を知る旅~ ③3日目:大石橋と弓長嶺の万人坑2009/09/27

営口大石橋へ移動(約3時間)、マグネサイト鉱山の万人坑を見学。昼食後、弓長嶺へ(約2時間)弓長嶺鉄鉱の万人坑見学。本渓へ移動(約1時間)。

ここも歩く、歩く。現在も採掘が行われている虎石橋万人坑の周辺は、今も炭坑労働者の生活の場だ。


☆本渓 泊 富佳大飯店(3つ星クラス)

~万人坑を知る旅~ ②北票炭鉱の万人坑(遺骨。。)2009/09/26

遺骨館の中に入ると、ビニールハウスで当時発見された状態のまま、びっしりと遺骨が横たわっていた。中でも土饅頭のような塊から横に縦に積まれた形で埋まっている遺骨はむき出しのままになっていて、ぎょっ、と後ずさりした。本多勝一さんも、70年代の調査時にどちらかの万人坑きっとこうした層になった遺骨を見て驚愕されたのだと思う。

こうした遺骨の画像をネットに掲載するのは気が引ける。本当は埋葬して慰霊されるべきだ。少なくとももう64年以上も埋葬されずにこうした状態にある事も悲しい実態だ。万人坑が広く知られもう遺骨をさらす必要がなくなれば埋葬できるんだろうか。。
そうであれば、こうした姿を見た私たちはやはり伝える必要がある。

参観の後、館長ご夫妻と共に夕食。とても気さくなご夫婦で楽しい交流もできました。

~万人坑を知る旅~ ②北票炭鉱の万人坑(遺骨館)2009/09/26

この広い敷地に埋まっているのはほとんどが山東省の労働者。炭坑でいい仕事があるとだまされて移ってきた農民が多いそうだ。

ここを管理する職員さんは4名で、2名づつで日中と夜間のシフト制だそうで、夜間は破壊したり、悪さをする者が出没することもあり、職員さんが事務所に常駐されているそうだ。阜新と同様に、ここも修復、改築される予定とのこと。

 * 遺骨館。この中に発見された当時のまま遺骨がそのまま横たわっている。

~万人坑を知る旅~ ②北票炭鉱の万人坑(紀念塔)2009/09/26



午後から北票炭鉱の万人坑の見学と慰霊に向かう。


ここは賑やかな住宅街と商店が連なる通りの奥に位置しているが、道が狭く、中型でもバスが入れないため、紀念館から迎えに来てもらった車に乗り換える。8人乗りの小さい車に9人が乗り込み大騒ぎ(^_^;) 


家々を越えて到着するとそこは広々とした高台だった。まず、高い紀念塔に目をみはる。