島津酉二良さんの意思を受け継ぐ 印南・白浜・串本への旅 バスツアーのご案内 🚌💨💨2018/04/16

受け継ぐ会関西支部恒例の受け継ぎの旅。今年は串本へ!

お申込みお待ちしております(^^)/

 

 

      今年は白浜より南の串本へ!

 

 吉野熊野国立公園の荒船海岸を望む国民宿舎あらふねリゾートに宿泊し、

秘湯湯の谷温泉で寛ぎます。

ホテルでは演劇『林檎の想い』作者で島津さんを慰霊と謝罪の訪中に導いた水本雄三さんを講師にお迎えし、島津酉二良さんから受け継ぐ平和への思いをテーマとして講演会を開催します。

 

 2日目は串本の大自然に親しみ、紀州の文化と日米・日土の交流の歴史を学ぶ充実の2日間です!

 

 ~ シリーズ 中帰連から受け継ぐこと ~ 

 中帰連、この人「島津酉二良さんの『林檎の想い』から受け継ぐこと」

 

  『元関東軍憲兵 故・島津酉二郎さんについて語る』

 

           懺悔から改悛へ、改悛から慈愛へ 
 
          そして平和運動の生涯
 

 講師:演劇『林檎の想い』作者で島津さんを認罪の訪中に

 

                                      導いた水本雄三さん

 

 

■水本雄三さん

1953年和歌山県田辺市中辺路滝尻王子で生まれる。

1978年より高校教員となる。

1992年12月8日、田辺市で開催された平和集会で初めて島津酉二良さんに出会う。

1995年8月6日、戦後・被爆50周年田辺西牟婁平和祭典で島津酉二良さんの戦争体験をモチーフにした『語り劇・林檎の想い』を上演。

1997年夏、島津酉二良さんと中国へ慰霊と検証の旅に出かける。翌年に旅を記録した『高校民研ブックレット・林檎の想い』を和歌山県高校教育研究所より出版。

2005年2月22日、島津酉二良さんご逝去、85歳。弔辞を献読。

2010年1月、和歌山県立田辺工業高等学校を退職、同年3月白浜町長に就任。

2012年病気のため白浜町長を辞任。

2013年急性白血病を罹患。

2018年6年余りの闘病生活を続け現在に至る。串本町在住。

 

 故島津酉ニ良さん(元中帰連会員)の意思を受け継ぐ

 

 印南・白浜・串本への旅 バスツアーのご案内 🚌💨💨

 

    2018年 6月30日(土)~7月1日(日)1泊2日

 

和歌山県日高郡印南町切目の宗教法人弘能庵・奥ノ院に「中華人民共和国戦争犠牲者之慰霊塔」が建てられています。この慰霊塔は故島津酉ニ良さん(元中帰連会員)が侵略戦争に参加した反省のうえに立ち、認罪と慰霊・日中友好・反戦平和を願いのしるしとして1980年に建立されました。

 

 私たちは毎年、この慰霊塔の前に集い、中国人戦争犠牲者に慰霊と追悼の祈りを捧げると共に島津さんの意志を受け継ぐ思いを新たにしています。

いつも心を中国に向けて、真摯に反戦平和活動を実践されていた島津さんの想いを分かち合い、串本で共に語り合いましょう。是非、ご参加下さい。

 

■募集人員 : 21名(小型バス利用)

 

■参加費: 小型バス・4名の相部屋利用

 

     12名以上参加の場合:34,500円

 

     18名以上参加の場合:29,500円

 

一人部屋追加代金:1,300

 

二人部屋追加代金: 700

 

※講演会のみ(500円)懇親会のみ(5,400円)参加も可能です。

※現地合流、途中離団も可能です。事務局までご相談下さい。

 

■申し込み締切日 :6月10日(日)   

 

■企画 :撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部

 

■旅行企画・実施:合同会社 HAPPY-SCREAMING PROJECT / 39トラベル

 

■お問い合わせ・お申し込み : 撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部

 〒 533-8799 大阪市東淀川郵便局私書箱17号

& 📠:06-6324-2439 ✉: uketugu@kansai.email.ne.jp

 

【 旅 程 】 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 

6月30日(土)

08:30 大阪・梅田を出発

11:00 切目にて「中国人戦争犠牲者之慰霊塔」にて追悼の祈りと

       献花 受け継ぐ宣言

12:30 白浜にて昼食 島津酉二良さんの墓前へお参り 三段壁観光

14:00 白浜 → 串本へ移動

15:30 串本ホテル着 

16:00~18:00 水本雄三さん講演会 

      演劇『林檎の想い』と中国慰霊の旅の紹介映像も上映します。

18:15~懇親会 🍻故島津さんの奥様、島津笹恵さんもお誘いしています。

 

7月1日(日)

08:45 ホテル発 大島トルコ記念館と日米修交記念館を見学

11:30 潮岬展望休憩所にて昼食

       料理上手な山崎屋旅館の女将さん手作りのお弁当 🍱

                          http://yamasakiya.co/index.php

12:15 潮岬望楼の芝を観光 無量寺応挙芦雪館で障壁画鑑賞

14:30 串本発 帰りに🐟とれとれ市場で休憩&買い物など

18:30 大阪・梅田帰着予定

 

◎参加費に含まれるもの

■ 貸切バス代 ■ 高速・有料道路代

■ 宿泊代:国民宿舎あらふねリゾート(1泊2食付き 夕食:会席料理)

■ 見学先入館料 ■ 昼食代(2回)

■ グループ費(講演会費用・献花代・おやつ代等) 

-----------------------------------------------------------------------------

☆旅行取消料

お客様がご都合により旅行を取りやめにされる場合は、参加料金に対して

下記の取り消し料がかかりますのでご了承願います。 

・6月16日~6月23日:20%  ・6月24日~6月28日:30%

・6月29日:50% ・当日: 無連絡不参加 及び 旅行開始後:100%

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『島津酉二良さんの意志を受け継ぎます』

 

 島津酉二良さんは、1921年和歌山県東牟婁郡本宮町に生まれました。幼少の頃親が売った田畑を買い戻そうと、21歳で旅順重砲隊に入隊。その後、憲兵学校に入校、関東軍承徳憲兵隊に配属されました。

       

中国人老農夫の殺害を皮切りに、新婚1週間の夫婦をスパイ容疑で惨殺、共産党幹部絞殺など、残虐な行為を繰り返しました。敗戦後、ソ連軍に抑留、1950年に中国の撫順戦犯管理所に移送され、戦犯として6年間の生活を送りました。

撫順戦犯管理所では、「人間に還れ」という教育が行われ、急性中耳炎にかかったとき手厚い看護を受け、身内を日本人に殺されたという看護婦さんが買ってきてくれたりんごの味が鬼から人間になるきっかけになりました。

 

1956年に帰国、1980年に和歌山県日高郡印南町切目の弘龍庵・奥ノ院に[中華人民共和国戦争犠牲者之慰霊塔]を建立。以後今日まで、侵略戦争に参加した反省のうえに立って侵略・加害体験の語り部として、学校や平和のための戦争展などで活動を続けられています。

 

「真理を伝えることを生きがいにしていきます。そのことが二度と戦争を繰り返さない力になるのですから」という島津さんのメッセージを受け継ぎ、大きく広めていかなければなりません。戦争とは、『人間が人間でなくなること』です。一人一人が自分に関わる問題で自分なりに運動を進めていくこと。多くの仲間と団結して〝平和〟を築いていきます。

 

2003年4月26日

撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部

 

🍎 島津さんが撫順戦犯管理所に収容されていた当時、職員であった看護師(関慧賢さん)から手篤い看護を受け、鬼から人に戻るきっかけを与えられました。島津さんのこの体験は語り劇『林檎の想い』として1995年、和歌山県田辺西牟婁平和祭典で高校生により上演され、参加者に強い感銘を与えました。

 

■島津酉二良さん略歴(『林檎の想い』ブックレットより)  ========================================

1921大正10.6.15.  和歌山県東牟婁郡本宮町に出生。

1935(昭和10.3.14歳〉和歌山県西牟婁郡白浜町園田温泉掘削合社に

                                          就職。

1942(昭和17.4.21歳〉中国旅順重砲隊に召集される。

       12.   新京(現長春)の憲兵教習所(?)に人所。

1943(昭和186.22歳〉憲兵試験に合格。

            北支作戦長島遊撃隊に配属。

            関東車長春第二特別警備隊第二大隊憲兵伍長。

            河北省密雲県兵馬営(占北口)で老農夫殺害。

1944(昭和19.6.23歳〉下士官として松吉部隊に派遣。

1945(昭和20.6.24歳〉河北省尊化県南台村。

            関東軍第881部隊山野中隊へ配属。

            散髪屋(夫)教師(妻)の夫婦を殺害。

            中国共産党幹部殺害。

       8.   敗戦。

       10.   新京でソ辻車により逮捕されイルクーツクの捕虜

                                   収容所に送られる。

1950(昭和25. 〈29歳〉撫順戦犯管理所に収容。

1954(昭和29. 〈33歳〉急性中耳炎に罹る。

1956(昭和31.6,〈35歳〉印章人民共和国軍事法廷にて起訴免除となり

                                           釈放。

       7.1.      帰国(舞鶴)

       8.1.  和歌山県西牟婁郡白浜町役場に就職。

1976(昭和51.3.55歳〉白浜町役場を定年退職。

1977(昭和52.6.56歳〉内蔵破裂で入院。

1980(昭和55.8.59歳〉和歌山県日高郡印南町切目の宗教法人弘能

                                        庵・奥ノ院に「中華人民共和国戦争犠牲者之

                                        慰霊塔」を建立。

1980(昭和55)以降、侵略戦争に参加した反省のうえに立って侵略・加害

                        体験の語り部活動を続ける。

2005222日 逝去

 

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  ◯◯    ~ 反戦平和と日中友好 ~  

       

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